「日本遺産とは?」
「東京都初の日本遺産【霊気満山 高尾山】とは?」
「高尾山や八王子ってそもそも?」
今回は、東京都で初めて日本遺産に登録された高尾山及び八王子の文化財を祝して、日本遺産と高尾山と八王子の歴史について紹介致します。普段は普通に登っている高尾山や雪の日に中継される八王子について知見を深めましょう!
以下の点を紹介!
・日本遺産とは?
・東京都初の日本遺産「霊気満山 高尾山」とは?
・高尾山や八王子の歴史
目次
日本遺産とは?
観光マーケティングの観光特産醸成のためには、地域特産や観光商品の背景にあるその地域特有の歴史的、文化的な物語やそれに関わる地域住民の生き方等を伝え、ストーリー性を持たせることが重要です。
日本遺産の目的に、「文化財や伝統文化を通じた地域の活性化を図るためには、その歴史的経緯や、地域の風土に根差した世代を超えて受け継がれている伝承、風習などを踏まえたストーリーの下に有形・無形の文化財をパッケージ化」することが必要と述べられています。
参考:日本遺産ポータルサイト
これら地域の点在する文化財と地域特有の魅力あるストーリーを「日本遺産」として登録し、地域の情報発信ひいては地域の活性化を推進することが目的となっています。
日本遺産の特徴
・地域に点在する文化財の把握とストーリーによるパッケージ化
従来の日本では、地域に点在する文化財や観光名所を個々に指定/保存し、地域全体での活性化には至らないという課題がありました。
日本遺産は、地域の文化財の背景にある歴史や人々の生活をストーリーとして形成し、地域全体での観光推進及び情報発信を行っています。それにより、観光客の周遊性の向上に寄与することが可能となりました。
・地域全体としての一体的な整備・活用
地域全体を日本遺産として登録することで、地域全体が観光客の誘致や文化財の保存に取り組み、経済/社会の活性化が期待できます。
また日本遺産の登録は、地域の歴史や文化の教育を通じ、地域に対する愛着やアイデンティティの形成に寄与することが出来ます。
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・国内外への積極的かつ戦略的・効果的な発信
観光施策において、「着地型観光」が現在の主流になっており、観光地が内外の観光客に対して積極的に情報発信を行い、その地域ならではの観光を提供することが重要になっています。
このような流れの中で、地域全体が一体となって情報の発信及び観光地や文化財の保存など、日本遺産の登録活動に取り組むことで、信頼され求められる観光地域となることが出来ます。
文化庁では、日本遺産オンラインガイドツアーを実施し海外向けに情報発信を行っています。
「霊気満山 高尾山~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」東京初の日本遺産
高尾山や八王子って、聞いたことあるけど実際どんな所?八王子は、雪の中継?高尾山は、レジャースポット?高尾山は、天狗で有名っ!は知ってるよ。
じゃ、高尾山と八王子の歴史について解説するよ!知らなかったら、しっかり覚えてね!
東京都で始めて日本遺産に登録された「高尾山及び八王子の文化財」の歴史は戦国時代まで遡ります。
八王子は、戦国時代末期の北条氏の名将・北条氏照が城下町を築いたことに始まり、養蚕や織物の盛んな地として「桑都」と呼ばれていました。また、人々が古くより霊山として崇めていた高尾山は、現在では世界一の登山者数を誇る名山となりました。
「高尾/八王子」日本遺産の登録構成文化財
「霊気満山 高尾山~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」を構成する文化財は、
国史跡・八王子城跡をはじめとする北条氏照公ゆかりの史跡等(6件)、
高尾山及び薬王院の信仰に関する文化財(11件)、
桑都の歴史の中で育まれた伝統文化(12件)
などの八王子ストーリーの有形・無形の文化財(計29件)が登録されています。
偉大な山城「八王子城」
北条氏照は、武田信玄や豊臣秀吉の進行に対して、八王子権現を祀る聖地に関東屈指の山城と言われる「八王子城」を築城しました。また、高尾山が天然の要害として向かい合う地形から重要な軍事的要衝として発展しました。
江戸時代に書かれた「桑都日記」では、氏照が八王子城下の景勝地を「八王子八景」として記述しています。その中で、「八王子城の秋月」に城山からの秋の月が領地一体を幻想的に照らす様子が描かれています。
「霊気満山 高尾山」
高尾山は、奈良時代に開山し戦の神として信仰されていた飯縄大権現を本尊とする薬王院が祀られています。江戸時代には、絹や養蚕産業が盛んだった八王子と高尾山薬王院との関係はさらに緊密になり、養蚕農家は蚕をネズミから守る「蚕守」の護符を薬王院に求めていました。また、八王子だけでなく群馬や埼玉の絹産業家は、ご利益を求め杉の苗木を奉納し、脈々と高尾山信仰の象徴である「杉苗奉納」が行われていました。
「八王子八景」の一つに「高尾の翠靄(すいあい)」が描かれており、自然の豊かさと厳かな霊山の空気感が「翠靄(みどり色のもや)」として表現されています。
【桑都】八王子とは
八王子は、八王子城下町期及び落城後も防衛や交通の要衝として発展しました。江戸期には、八王子宿が整備され、絹産業を基盤とした甲州道中最大の宿場町に発展しました。
幕末から明治期には、輸出のため八王子から横浜をつなぐ「絹の道」が整備されました。
八王子の絹産業は、「多摩織」という伝統工芸品を生み出し、「八王子八景」の「桑都の晴嵐(せいらん)」にも桑畑が広がり養蚕に勤しむ活気ある町が描かれています。
参考:八王子市HP
まとめ:高尾山と八王子の歴史・文化に触れよう!
東京都初の日本遺産登録地として注目を集めている高尾山と八王子を紹介致しました。
高尾山は、多くの登山客を有する一方で八王子の史跡や歴史施設などはまだ観光地として認知が足りていません。
ぜひ、高尾山に関連する八王子の歴史や文化にも触れてもらいたいと思うこの頃です。
(実は筆者は八王子出身です)